当ブログ名の由来となった明治の文豪「中島敦」の「名人伝」を語る

いつも当ブログ「琵琶湖バス釣り名人伝」をご覧いただきありがとうございます。
本当にしょぼい釣果とチラシの裏に書くような記事ばかりにも関わらず、毎日多くの方にアクセスいただいております。本当にありがとうございます。
しょぼくても継続することの大切さ、継続することにより得られる成果を実感している毎日です。
さて、今回は当ブログの名前の由来となった「名人伝」という小説をご紹介します。
中島敦と名人伝
名人伝は、明治の文豪「天才 中島敦」が書いた短編小説。高校の国語の教科書にのっていた「山月記」を書いたのは、この中島敦です。
中島敦は、森鴎外、夏目漱石といった文豪に比べるとあまり有名でないかもしれませんが、非凡な才能をもった天才文豪です。持病の喘息により34歳という若さで亡くなっている事が、天才であることの証明です。
名人伝の原文は「青空文庫」で無料で読めます。10分もあれば読めるので、ぜひ読んでみてください。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000119/files/621_14498.html
小説「名人伝」の概要
忙しいあなた向けの名人伝の概要です。
中国の「紀昌(きしょう)」という男が天下第一の弓の名人になろうと考え、超絶すごい弓の名人である「飛衛(ひえい)」の弟子になりました。
紀昌は飛衛のもとで修行を開始。まぶたにクモの巣が張るくらい瞬き(まばたき)をしないことと、蚤(のみ)が馬の大きさに見えるくらい見ることを学びます。そのかいあり、紀昌は師匠の飛衛とならぶ弓の名人となることができました。
その後、紀昌は「甘蠅老師(かんようろうし)」に弟子入りします。甘蠅老師は弓も矢も使わず、空を飛ぶ鳥を撃ち落すことができる次元の違う弓の達人。
紀昌の弓が「射の射」であるとすれば甘蠅老師のそれは「不射の射」。弓を射ることなく射る。すごい。
そんな甘蠅老師のもとで修行した紀昌は弓の達人となりましたが、弓の使い方を忘れてしまうほどの木偶(でく)になってしまい、その後も弓を使うことなくこの世を静かに去ります。
ブログ名に「名人伝」を使った理由
当ブログの名前「琵琶湖バス釣り名人伝」に、「名人伝」を含めた理由は以下の通りです。
断じて、自分のことを名人だと思っているわけではありません。誤解なきようお願いいたします。
- バス釣りを極め「不釣之釣」を体得するため。
- 「名人を突き詰めると木偶(でく)に至る」を常に念頭に置くため
バス釣りを極め「不釣之釣」を体得する
紀昌が体得した「不射之射」を釣りに置き換えた「不釣之釣」を実現したいと考えています。
烏漆 ( うしつ ) の弓も 粛慎 ( しゅくしん ) の矢もいらない「不射之射」。
「不釣之釣」では高価なロッドも7万円もするリールもいらないというわけです。あ、あれ?
まぁ、それはおいといて、フィールドに立った瞬間にバスの居場所が分かり、適切な釣り方を選択することができ、毎釣行50UPを水揚げできるような釣り師を目指しているということです。
「名人を突き詰めると木偶(でく)に至る」を常に念頭に置くため
弓の名人となった紀昌ですが、最後には弓の使い方すら忘れてしまいます。名人を突き詰めると、役に立たない木偶に至ることがあるというわけです。
釣りに置き換えると、「考えすぎるがゆえに、釣れなくなる」という感じでしょうか。
知識やノウハウが魚をもたらしてくれることもあります。一方でそれらを追い求めすぎると、逆に視野が狭くなり足元が見えなくなったり、本質からかけ離れてしまうことにも繋がってしまいます。
こういうことを「能ある鷹は爪を忘れる」と表現しているサイトがありました。本当に的を射た表現だと思いました。上手いこといったなぁ笑
名人伝を思い起こすことで、自分に対する戒めとなり、また、反面教師として立ち止まらせてくれると信じています。
自制しつつも名人を目指しています
結論めいたことをいうとすると、何事も「ほどほどに」、「バランスよく」ということでしょうか?
「釣りバカの家庭は崩壊率が高い」という俗説の一例とならぬよう、慎重かつ十分に配慮していく所存であります。
最後までご覧いただきありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。